徳の積み方はそれぞれ自分に合った徳の積み方を

いつもお読みいただきましてありがとうございます。

 

ブログを一番多く読まれているのものは

「徳の積みかた」

「因果応報」

「慚愧懺悔六根清浄」

良くその気持ちが解ります、なぜならお話ししている自分が同じであり、何度も何度も書く事で自分を戒め自分の心を変えて行こうとしているからであります。

どれだけ変わったかは自ら判断はできかねずご神仏さまにお任せです。

 

少しでも正しい心を持てるように

亡くなった父と、天との約束ごと「良いことをする、正しいことをする」同じような言葉のようですが

良いことをする…人間社会からの見方、

正しいことをする…神の世界からの見方、

 

朝晩毎日願いそれを実行することも修行の一つだと思います。

 

人は毎日の暮らしのなかで知らないうちにたくさんの罪を犯しており、その業は自ら日々消していかなければなりません。

その日に摘み取っていくことで「業」は消えると言います。

 

日にちが経つことで「業」の塊は大きくなり厄介となり、毎朝ご仏壇で「発露懺悔六根清浄」三宝の御前で告発して菩薩さまの慈悲のお心でお許し願うことです。

 

今からでも遅くはありません、正しい心を持っことで必ず罪穢れは消えて行きます。

 

今生は人間として生まれて来ておりますが、次回は人間に生まれると言う保証はありません

(人間に生まれてありがたしと言うのです)忘れるべからず!

 

徳はどうしたら積めますかと聞かれたら

 

正直に暮らしなさいと言います。

 

徳とは意識して積むものではなく正しい行いを繰り返す、人のために尽くす(利他の心を持つ、決して見返りは求めない、他者の幸せを願う)

自然と言葉、行い(行動)から積むことができ、お布施もその一つであり

 

「徳は本(もと)なり、財は末なり」

徳が(高い人間性)根本であり、財(お金)は枝葉末節(しようまっせつ)であります。

 
幹が主要なもののたとえであるのに対して、主要でな い些末な部分のたとえ。
 
 
人の幸せや社会の発展のために貢献することが根本でお金や地位は後からついてくると言うたとえ。

 

 

「三田」(三福田)とも言い、

供養することによって福徳が得られる三つのもの。「敬田(きょうでん)・恩田悲田」、また三宝(仏、法、僧)」を言う。

 

三田に施しをした功徳は布施をした人のものであり布施はその心こそが大事で気持ちさえあればたとえ与える物が何ひとつなくてもその功徳を求めることができるとあります。

 

反対に

財産を惜しみ人に施さず、気の向くままに、ふしだらな生活、布施をしてもすぐに見返りを求めるので迷いの世界に入る、六波羅蜜もしたことない。

 

陰徳は末代までの徳

陽徳は自分一代の徳

 

「正直に勝る徳はなし」

智慧の言葉で、自分の言動に裏表のない正直さが  世間の信用を勝ち取る最高の徳という智慧の教えです。

 

いつも最後までお読み頂きましてありがとうございます。

 

生きとして生けるものが幸せでありますように

 

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   西岡優  

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